自転車を与えれば行動範囲が広がるので、保護者は子どもの行動に関心を持ちます。進学すれば新しい交友関係に関心を持ちます。保護者は子どもの成長にともなう「環境」の変化に関心を持ち、新しい環境から何を学びどう成長していくのか考えていると思います。

 ところがスマホやネット、SNSの話題になると、「子どもの方が知っている」「私たちの世代にはついていけない」としり込みをしてしまいます。さらに、自分たちの分からないところで交友関係を広げる子供達のネット利用を好意的には受け止められず、心配あるいは放任し続けてしまいます。なぜネットのことになると、急に眼をそむけてしまうのでしょうか?

 原因はおそらく新しいモノに対する経験不足や価値観の違いから生まれる違和感ではないでしょうか?自分たちが子どもの頃になかったから・・・今さら興味ないし、生活に必要ないし、使ったとしても子どものようには使わないから・・・。実はこうした考えが問題なのです。

 スマホはメディアです。メディアはコミュニケーションの可能性を拡大するために使うものです。スマホを持つことで子供たちの「情報環境」が大きく変わります。これは目に見えにくいものですが、とりあえずは新しい街に引っ越したようなものと考えても結構です。全く知らない新しい街に引っ越したのに子供の行動に関心を持たない保護者はいるでしょうか?子供のスマホ・ネット利用を考える第一歩は、自身の経験や価値観との比較ではなく、環境を考えることです。

 もっとも原始的なメディアである「身体」では実現不能なコミュニケーションを、電話やテレビやスマホ(ネット)は実現したのです。電話で話す内容をSNSのメッセージ機能で伝えたら、その時点で全く新しいことだと考えるでしょうか?手段は違っても、目的や内容は同じです。メッセージ機能ではなくメールでも、LINEでも同じことです。基本的に重要なことはコミュニケーションの内容や目的、それによる行動です。その情報をどのメディアから得たかはそれほど重要ではないはずです。

 学校で友達と口論になったことを家で話したら、保護者はきっと話を聞くでしょう。それが、なぜLINEで口論になったときは分からなくなってしまうのでしょうか?きっと問題の本質を見間違い、LINEを知らなければLINEのトラブルは対応できないと考えていないでしょうか?

 もちろん新しいネットメディアに関する基礎知識やリテラシーを習得することは重要です。しかし、技術的な事より大事なことは、子供たちの欲求や人間関係に関心を持つことです。それは決して新しいことではなく、むしろスマホやSNSといった新しいモノによってかき消されてしまったのだと思います。現在の子供たちのスマホ・ネット利用に対する大人の対応方法は、まるで「毒を飲ませて薬を与える」ようなものだと言えます。対人スキルや精神力、社会の仕組みや常識、多様な経験やそれによって身に付く人間性などの学習途上にある子供たちにとって、SNSは間違いなく高度で扱いにくいメディアです。まるで運転初心者がスーパーカーを乗り回しているようなものです。この状況を眺めて「すごいな~」と関心をしながら、事故が起きた時に対処するという方法が、社会的に望ましいものなのでしょうか?

 子供にSNSを使わせるなということではありません。SNSを使えるまでに子供の社会的スキルを育てることが大事であるということです。それは、SNSを使う為に教育するのではなく、大人になるための日々の学習の先に、SNSが使えるレベルが存在すると考えればよいでしょう。子供のスマホ・ネット利用問題は実に「お化け」のようなものだと思います。目に見える問題は起きているのに、その原因をスマホやネットに求めても明確な答えが見えないのです。なぜでしょか?その理由は、この問題はスマホの使い方とか、使用上のルールやマナーを破ったことなどが問題ではないからです。子供たちは間違って被害やトラブルを起こすのではないのです。それらは彼らなりの最大限の正しさの結果なのです。ただその正しさの判断能力に限界があったのです。子供のスマホ・ネット利用問題の正体はコミュニケーションの在り方そのものなのです。