情報モラルとデジタルシティズンシップ教育の違い

情報モラルもデジタルシティズンシップも根っこにある教育目標は同じです。それは、情報機器を通じて社会とコミュニケーションをとるための望ましい態度や考え方を身につけることです。しかし「望ましい態度や考え方」の意味は政治や文化によって多様なため、同じスローガンを掲げても教育の方向性には大きな違いがあります。
今回は情報モラルとデジタルシティズンシップの設計思想について考えます。
■情報モラルの設計思想
情報モラルとは、情報機器を使う際のモラル(良識・常識・ユーザーの有り様)を養う教育なので、その思想は日本文化に根差します。よって、日本文化の特性を把握することが重要です。
日本では基本的に「囲い込み型の指導」が行われます。様々な選択肢があるなかで、禁止事項を加えていきながら、やってはいけないことを覚えさせるのです。小さい子に言うことを聞かせるために「鬼が来る」と言うのと同じで、フィアベースドアプローチを採用します。最も身近な例が子どもの躾です。間違うたびに注意して、間違いを減らそうとするため、間違えた時にタイムリーに注意していく指導法が特徴です。
情報モラルではこれを対処法的指導または対処療法と呼びます。最新の問題や危険なことを知り、その都度そのことについて指導するので、鉄を熱いうちに打てる即効性は期待できます。学習者もその時々の話題がテーマなので理解しやすいのも利点です。
反面、出来事に対処する意識になるため、小さな問題は見過ごされ、目に見える大きな問題になるまで学習する動機を見つけにくいことが欠点です。また、問題行動の防止が主目的になるので、インターネットの仕組みや社会的役割を指導目的に合わせてネガティブな印象で語りやすく、匿名性やネット上の出会いなど問題行動の原因になるものについて前向きに考えさせることに限界があります。言葉では「インターネットは便利で快適」と言いながら、学習過程で使用を厳しく制限してしまうため、子ども達は学習するごとに使用を控えるようになりがちです。
■デジタルシティズンシップの設計思想
デジタルシティズンシップは、社会をより良くするための「シティズンシップ教育」の成果をインターネットでさらに発展させることを目的とした長期的かつ複層的な社会教育です。よって、近視眼的な指導ではなく、積み上げ式に学習が成熟していく発展型の指導を好みます。日々発生する問題の抑止より、問題の原因や構造を理解し、話し合う土台となる論理的思考や他者との関係づくりの必要性を養うことに主眼を置きます。
例えばフェイクニュースについて考える時、情報モラルではフェイクニュースそのものを問題と捉え、「フェイクニュースに騙されないように」指導しようとします。対してデジタルシティズンシップではメディアリテラシーの技法を用いて、フェイクニュースを題材に「情報の読み解き方法」を考えます。
ネットいじめが起きた場合、情報モラルでは教師が当事者に注意し、全体にはいじめは悪いことだからやってはいけない、と訴えます。いじめを起こさないことが目的の指導であることが分かります。対してデジタルシティズンシップでは、当事者の周囲にいる傍観者に働きかけ、自分ならどのような行動をするか考えさせます。一人で対処できないならみんなで相談して対処するよう知恵を与えます。子ども達が自分たちでいじめ問題に立ち向かえる力を養うことが学習の目的なのです。
このように、デジタルシティズンシップ教育は、インターネットを使うから教育するというよりも、インターネットによって得られる情報の種類や質が多様化・高度化した(=総じて社会が求めるコミュニケーション水準が上がった)ことに伴い、判断能力向上の一環として行われます。
デジタルシティズンシップの目的は善きネット市民ですので、それは教室だけで実現できることではなく、家庭や地域でも同様の趣旨で教育が行われなければいけません。社会全体が子ども達により賢く、より民主的な思想をもたせるための教育が、結果的にトラブルの予防や将来起こりうる新しい問題を自分たちで解決できる力となるのです。