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 お金は必要な人に与えられるべきです。十分なお金があって、これ以上必要としない人にとって、お金は価値がなくなるし、必要でもその目的が間違っていれば、与えてはいけないと思います。

 このリンクの記事にある実験は、貧困層を対象としたそうですが、貧困には経済的貧困と心の貧困があります。心の貧困とは、精神的に幼い状態で、精神年齢が低いとか、堕落した生活を好むような状態を指します。そうした状態の人のお金の使い道はギャンブルや風俗など刹那的な快楽になりやすく、宣伝や流行りに弱く消費癖がある場合が多いと考えられます。

 心の貧困を抱える人にとって、使用用途を制限しない現金支給は失敗だと思います。そうした人たちはお金があるだけ無駄な出費を増やしてしまうから、自分や家庭の未来のことを考える使い方にはなりにくいのです。

 あるいは、心の貧困が蔓延する地域では、現金支給に群がるサービスが拡大し、結果、お金の払い先が増えることになるから、この実験の結果のようにはならないでしょう。

お金は目的を達成するためのモノやサービスや時間と交換するためのものです。目的の内容によって使われ方が変わるし、得るものも当然変わります。

 

 これはインターネットも同じです。ネットは世界中の誰にでも、大量の情報を安価で提供できる力があります。しかし、どの情報を何のために必要とするかは個人が決めることになります。

 キャリアアップや世の中の理解、よりよい市民として自分を磨くための情報を求める人にとって、インターネットは強力な味方になります。余計な規制は賭けるべきではないでしょう。

 一方で、快楽に溺れる人にとってインターネットは麻薬のような側面を見せます。こういう使われ方には抵抗する必要があります。

 いずれの場合も情報を消費する本人にとっては快適で喜ばしいものですが、一方は未来を明るくし、もう一方は未来を暗くします。そういった目的意識について私たちは議論しているでしょうか?

 

 お金があれば良いとか、情報が伝わるから便利、といった物理的なことよりも、それを使って何を実現するのか目的意識が問われているのです。