私たちは毎日多くの選択をしています。そしてたまに人生を変えるほどの選択もします。しかし、その多くは環境によるものであると考えがちです。つまり、そうしなくてはいけなかったと考えるのです。不思議なことに、チョイス(選択)する理由がノーチョイスだというのです。

 また、選択することは、その結果に責任を負うことになるので、手段や方法や可能性を色々計算してからでないと決められない、と思うことも多いと思います。というか、ほとんどの場合私たちはそうするように教わってきたと思いますし、本能的にもそうしたい心理が働いているものです。

 環境や責任を考え出すと選択するとは随分と大きな課題に感じやすくなります。でもそう感じるのは、おそらく「選択する」という意味をはき違えているからではないかなと思います。

 端的に言えば、選択とは「自分に合った最適解を選ぶ」ことであり、「その方向に歩みだす」ことだと思います。しかしそれを「正解を言い当てる」ものだと勘違いしてはいないでしょうか?私には正しい選択肢が分からないから選べない、もし間違っていたらどうしよう、というように、初めから結果に意識を向けすぎていないでしょうか?

 結果とは選択が無ければ起こらないのに、結果が分からないから選択できない。このジレンマから抜け出す方法はあるのでしょうか?

 

 その一つのヒントがビジョンという考え方だと思います。ビジョンとは未来に向けた方向性のことで、結果を出すというイメージとは異なる点が重要です。

 例えば「わが社はカッコイイ車を作る!」というのがビジョンで、実際にみんなが憧れるカッコイイ車をデザインして生産するのが結果です。一つの結果(商品)が出来上がったからと言ってビジョンは失われません。なぜなら、これからも「カッコイイ車を作る」という挑戦は続くからです。ビジョンとは、それ自体に具体性がないのに、具体的な事柄の細部にまで影響を与える存在なのです。言い換えれば「柱となる考え方」でしょうか。

 こうした未来に向けた方向性を選ぶことが「選択」の重要な役割だと思います。

 ちなみに、ビジョンと似た言葉に「目標」とか「目的」というのがありますが、これらは具体化することも含めて語られる(例えば目標値、目的地、のように)ので注意が必要です。先の車の例で言えば、生産台数や販売時期など具体的なプロセスに用いられる言葉であり、その内容は常に変化します。

 現在の社会は様々な人や情報がつながりあい、かつてないほどに選択の幅が広がっています。しかし、どんなに選択肢があっても、それを欲して選ぶ能動的な力がなければ意味がありません。目先の目的や刹那的な選択ではなく、ビジョンを持つということです。

 人生におけるビジョンとは生き方であり、自分らしい姿をイメージすることです。そのために必要なのは一人ひとりの個性を認め、それぞれの選択に対して互いに応援する姿勢だと思います。

 そう考えることで「結果が見えないから選択できない」というジレンマから解放され、「選択した先に結果が待っている」と考えられるようになると思います。未来は決まっているものではなく、これから創り出していくものです。

 ひょっとしたら私たちはだれが決めたわけでもない「正解」というイメージに囚われすぎて、多様であるはずの人生に絶対的な何かを求め続けているのかもしれません。あるいは、「失敗」を恥とか悪いことのようにイメージしすぎて、必要以上におびえてしまっているのかもしれません。

 でもこれらは考え方一つで見え方が変わるものです。