安心・安全・安定は私たちが求める基本的な欲求ですが、これらの言葉には全く異なる二つの意味が存在すると思います。

 今回のコロナ問題は、これらの言葉の意味を改めて考える機会だったのではないかと思います。

 

 まずこれらの言葉の意味から確認してみましょう。

 

 「安全」とは?

 1.「お客様が安心して安全にご利用できるよう・・・」というように、出来る限りリスクを排除して心配や不安になることを極力なくそうとする状態のこと。

 2.「交通安全」「安全基準」のように、一定のリスクが存在することを認めながら、リスクをコントロールできるよう求める状態のこと。

 

 「安定」とは?

 1.変化がなく状態が一定であること(波の立たない入江のような環境)。

 2.変化する状況のなかで一定のパフォーマンスを維持できること(波が激しい外海のような環境)。

 

 「安心」とは?

 1.目につく範囲にリスクが存在せず心配や不安を感じない状態(余計なことを考える必要が無い状態)。

 2.リスクを想定しコントロールできるスキルや手段を持ち合わせていること(リスクに対処できる自信や余裕がある状態)。

 

 どの言葉も、1の場合は他力本願であり不安やストレスの原因となるものは排除する(してもらう)思考です。変化を望まず余計なことを考えず心配にならずに済む状態を好む傾向があると言えます。当然ながら変化の激しい時代には振り回されやすく生き辛さを感じやすい状態です。

 対して2の場合は、リスクと向き合い自分の力で不安やストレスを克服できる状態です。変化に対して前向きで、自分の力を高めることで不安やストレスを克服できると考える傾向があると言えます。

 同じ言葉でも捉え方によって全く違った意味になります。どちらの意味を好むかによって、問題との向き合い方や、そこから学べるものも変わってきます。

 コロナ問題ではテレワークや勤務時間の短縮、時差出勤、オンライン会議やオンライン授業など、急速にインターネットの活用が求められました。試行錯誤しながらも私たちは今インターネットがある新しいライフスタイルの可能性を模索しているところです。

 日本は、世界で初めてモバイルインターネットを実現した国のわりには、他国に後れを取っていると指摘されるオンライン活用方法ですが、コロナ問題によっていよいよ変化を求められることになりました。ということは、コロナ問題が去った時、社会の適応能力や学習性など社会を発展させる力の実力が見えてくるのではないかと思います。

 テレワークをやめ満員電車に飛び乗ったり、オンライン授業をやめたり、残業を増やしたりして数十年慣れ親しんだ元の生活に戻るのなら、私たちの社会は学習性に乏しく未来が作れない社会であるということになります。

 これまでの無駄な作業を減らし、インターネット活用によって効率化と時間の有効活用に気付けたのなら、今後社会はより良い生活を求め発展していくことでしょう。

 コロナ問題は私たちが望んで起きたことではありません。しかし、ピンチをチャンスに変えながらより良い未来を創る柔軟性が賢者の姿であるなら、私たちはコロナ問題を通じて賢くなれるはずです。

 さて、コロナ終息後に見られる社会はどうなっているでしょうか?コロナ問題から私たちはどれだけのことを学べたのでしょうか?