見えない敵との闘いは情報が凶器になります。今回のコロナウイルスに関する一連の出来事は、ウイルスそのものの拡散速度だけでなく、不安や憎悪の拡散、差別や偏見の拡散、そしてデマ情報の拡散も随分と猛威を振るったことでしょう。些細なデマに踊らされて誤った判断をされた方も多いと思います。

 コロナウイルスがまだまだ猛威を振るっている大変な時期ではありますが、テレワークなど新しい生活にも少し慣れてきたころですので、そろそろ終息後に向けて思考を働かせて行けたらと思います。

 しかし、その経験は無駄ではありませんし、むしろ貴重な事だと思います。これほど世の中が「分からないこと」に包まれるのも歴史的な事です。分からない状態とは状況を見渡せない状態なので、そこで行われる判断は必然的に視野が狭く短絡的になります。

 これを日々教えてくれているのが子供達の失敗です。子供達にとって世の中は分からないことだらけです。だから判断を誤ることが多いのです。私たちは今、子供達と同じような視点で問題と向き合っているのだと思います。

「分からないこと」の存在を強く認識することは、情報社会に生きる者の基礎能力の一つです。

 過去の震災や原発事故もそうですが、前例のない特殊な状況下では、判断に余計なバイアスがかかり平時とは違う選択をするのは当然のことです。トイレットペーパー騒動がそうでした。頭ではなんとなくわかっていても、不安を抑えられず(安心欲求から)買いだめに走ることが正しいと判断するわけです。

 客観的に間違っていると思っても、当人にとってその時点では正しい選択なのですから、そうした人達をあまり犯人扱いするのも良くないと思います。そもそもいつだって何が正解だったかは結果を見ないとわからない事も多いはずです。ですから、混乱時の判断の誤りを非難するよりは、事後の振り返りが重要だと思います。なぜそのような判断をしたのか、当時の自分の気持ちや影響を受けた情報、周囲の反応などを客観的に見直すことで、自分の判断に磨きをかけるのです。騙されたことを悔やみ、発信者を非難するのではありません。判断に至らなかった自分の無知を認めて改善すれば良いのです。

 

 嘘の情報に振り回される理由は、私たちの情報処理能力が限界を越えているからです。常に「分からない状態」にいる子供達が良い手本です。人は自分の理解できた範囲の世界観で日々の判断をしています。その世界観が狭ければ、判断が誤るのも仕方のないことです。ならば黙っていればいいのに、そうもいかない。自分でもよくわからないけれど、伝えないわけにはいかないと思うからこそ発信したくなるのだと思います。これが「善意の拡散問題」です。

 善意の拡散問題の正体は、他者への影響力を行使したい心です。人助けをしたい、自分が感じたショックや感動を共有したい、など原理は意外と良いものです。また、トイレットペーパー騒動の発端はマスコミの報道にありましたが、この時のマスコミは「事実を広く伝える」使命を果たしただけとも言えます。人の為に自分の知識や経験を伝え合うことはとても大切な事のはずです。震災で動物園のライオンが逃げたというツイッター発信にも、本当に善意から注意を促したいと思った人は相当数いたはずです。しかし結果的に間違いとされるのが善意の拡散問題なのです。

 この問題に対して情報モラルでは、基本的に「嘘を広めるな」と教えます。「嘘を受け取った時点では被害者だが、転送したら加害者になる」と言うのです。具体的な例として、先のライオンの脱走やチェーンメール等を使って説明するのが定番です。しかし、善意の拡散問題はそれ自体が悪いこととは認識しにくいものです。拡散が起こった後に振り返れば間違いに気付いても、「後悔先に立たず」なのです。今回の騒動をきっかけに、こうした情報モラルの指導法が改善されることを望みます。

 情報は私たちの精神や思考を揺さぶり、不安や快楽などの感情を引き出す力があります。私たちは情報の影響を受けて生じた喜怒哀楽の感情によって、日々多くの判断を下しているのです。その情報が誰でも簡単に伝えられるのが情報社会です。つまり、私たちは日々たくさんの感情の揺さぶりを受け続けているのです。自分が感情に支配されていることに気付かなければ、この問題とは向き合うことができません。

 

 では善意の拡散問題にはどのような思考が有効なのでしょうか?

 まずは黙ることです。騒動が起こるのはおおよそ世の中が不安で満ちている時です。そのような時だからこそ判断が狂いやすく感情的に振る舞ってしまうのです。そもそも、非常事態においては、自分の事だけを真剣に考えることが大切なはずです。他人の事よりまずは自分がどうするか?が問われるのです。この考えが正しいなら、自分の手の出せないもの、理解の及ばないもの、余裕が無くて考えられないことなどは、そもそも手を出す必要はないとも考えられます。よくわからないからスルーするのです。そうして自分の感情の揺さぶりを押さえ冷静な思考状態を守るのです。

 二つ目は、得た情報を自分の言葉に置き換えることです。情報の複製が簡単なデジタル情報は、転送者の責任を自覚させにくいことが問題です。受け取ったときの感情が冷めないうちに行動できてしまうのです。時間をおいて冷静になることも有効ですが、自分の言葉に置き換える作業をすることで、自分が分かっていない部分を発見することができます。

 三つ目は、分からないことは伝えないことです。ここでは、他人に迷惑をかけるかどうかは問題ではありません。「その情報について聞かれても答えられないから」と考えることが大切です。なぜなら、善意の拡散はそもそも「他人に良いこと」と思うからこそ発信するので、相手のことを色々考える余裕はないからです。一つの感情に囚われている時は、異なる感情は出せません。だから論理思考という感情とは別のチャンネルを使うことが有効なのです。

 四つ目は、失敗してみることです。失敗することは悪いことではなく、むしろ間違いに気付き修正できるチャンスです。悪いのは失敗することではなくて、反省しないことです。反省しない理由は、自分が失敗したことを恥じて振り返りたくないプライドがあるからです。このプライドを生み出しているのが失敗に対する恐怖であり、この恐怖を強化しているのが周囲の厳し目です。「悪いことをしない」教えを受けることで、自分が悪いことをしてしまった事実に囚われ、反省から目を背けたくなるのです。「失敗してはいけない」という教えが、失敗を繰り返す人を育ててしまうのです。

 ここまで読めばわかる人もいるかもしれませんが、最後に必要なことは、相手を許すことです。自分が失敗した時も許しを請うはずです。

 許すという行為は相手の為だけでなく、むしろ自分の為だと思います。自分が余計な感情に振り回されて思考にノイズが入るのを防ぐ効果があるのです。憎たらしい人を許せずにいると、いつまでも憎しみが湧き続け思考を邪魔するものです。善意であれ悪意であれ、今重要なのはその情報の行先です。誰に伝わりどう作用するのかです。これはコロナウイルスの蔓延と同じです。誰が持ち込んだかではなく、自分はどうするかが問われているのと全く同じです。

 

 人は失敗する生き物です。理由は成功を強く望むため、失敗するまで諦められないからだと思います。良いことをしようと思うが為に、失敗するのです。その心が正しくても、手段を誤れば失敗になるのです。ならば、手段を改めれば良いのであり、他人の心を勝手に詮索してその人もろとも失敗の事実を全否定する必要は無いのです。許すことはやり直しのチャンスであり反省を促します。

 情報モラルとは「情報社会に生きるすべての人が身につけるべき考え方」とされているようです。問題はモラルとは何か?だと思います。「他人に迷惑をかけず間違ったことをしない」だけでなく「他人の過ちを許し共に学び合う」こともモラルだと思います。

 善意の拡散問題が起こる条件は、社会が不安に満ちている時です。そういう時こそ問題を自分事と捉えて自分を守る行動をとることで、この問題と向き合える力が得られるのではないでしょうか。